長野市川中島町今井の北原区で、明治初期まで一緒にまつられていた100体の観音像「百番観音」のうち、29体を集めた展示会が21日まで、地元の「ひとミュージアム上野誠版画館」で開かれている。廃仏毀釈(きしゃく)が進められる中、当時の北原村の各戸に1体ずつ配られ、それぞれ守られてきた。由来を知らずに散逸する家も出てきている中、保存への機運を高めようと有志らが企画した。
同館の田島隆館長(79)によると、百番観音は高さ3メートルほどの「北原大仏」を安置した「大仏接待所」にあった。いずれも高さ30センチほどの木製。江戸後期に、観音霊場として有名な西国、坂東の各33カ所、秩父34カ所の寺院の観音像をそれぞれ模して作られた。
明治政府が住職や檀家(だんか)のいない寺を廃止する令を出したことを受け、大仏接待所は取り壊され、大仏は近くの寺に移された。百番観音は1873(明治6)年、約90戸あった北原村の各戸に、1体ずつを基本に配られた。県立歴史館(千曲市)の元総合情報課長で八十二文化財団理事の宮下健司さん(67)=長野市=によると、こうした対応は全国的にも珍しく、「日本人特有の信仰心の現れ」とみる。
ただ、時間の経過とともに、引っ越しの際に無くすなどのケースが出てきた。このため地元有志15人ほどが6月、「北原大仏百番観音の保存と顕彰をすすめる会」を設立。展示会に向けて、各戸を訪ねて観音像を集めた。
各戸では、仏壇に納めるために下部を取り除いたり、はがれた塗装を金色に塗り替えたりした像もあったが、それぞれの方法で大切にされていた。会長の町田長治さん(71)は、展示会を機に「新しく北原に来た人にも由来を知ってほしい」と話す。行方が確認できていない約70体の像も今後探していくという。
入場無料。午前10時〜午後5時。19日午後2時から、宮下さんが観音霊場巡りなどについて講演する。問い合わせは上野誠版画館(電話026・283・2251)へ。
写真説明:地域の各戸で保管されていた観音像が並ぶ展示会