信州山小屋ネット~朝日に染まる白銀の山々(大町市の山岳博物館から)

松本 穂苅さんしのぶ
松本 穂苅さんしのぶ

「山の手帖2018」
「山の手帖2018」

松本 山岳フォーラム
松本 山岳フォーラム

浅間山噴火「系統樹」
浅間山噴火「系統樹」

松本 山岳フォーラム
松本 山岳フォーラム

あんぜん登山の最前線~多様化時代と「学びの場」~(5)
2013/11/09 10:31
YAMA2013110900169801.jpg

<変革する山岳会 技術や経験 どう還元>

 「これで良かったかな」「それでいい。そこで支点を取ればいいよ」。10月20日、県山岳総合センター(大町市)内の岩場を模した人工壁。ロープの扱い方に迷う40代の女性に、岡谷市赤羽の自営業小口得也(とくや)さん(36)が穏やかに助言していた。

 この日は、小口さんが2011年に入会した松本市の社会人山岳会「ライフ&マウント」(L&M)の研修会。安全を最優先しつつ、和気あいあいとした雰囲気で先輩が若手を指導していた。小口さんは「押しつけにならないようにしている。私もそうしてもらったから」と話した。

   △   △

 1956(昭和31)年、日本山岳会がヒマラヤ・マナスル(8163メートル)の初登頂に成功すると登山ブームが起き、全国に社会人山岳会ができた。昭和30年代前半に発足したL&Mのベテラン会員、杉田浩康さん(60)=安曇野市三郷明盛=は「ヒマラヤを目指すのが山岳会の理想だった」と振り返る。

 多くは毎週例会を開き、会員の登山計画をベテランが厳しく審査。山岳会活動に会員が費やす時間は長く、「岩場で朝夕に練習してそこから会社に通ったり、例会後に仲間と喫茶店で夜遅くまで話し合ったりした」(杉田さん)。

 高い理想を掲げた山岳会は一方で、遭難とも無縁ではなかった。冬山や岩登りが主な活動だったL&Mも、昭和30年代後半に北アルプスで雪崩により4人を失っている。

 危険が伴う登山には、厳しさや密接な人間関係も必要だという声はあるが、一般の登山者に山岳会は閉鎖的で厳しいというイメージを与えた、との指摘もある。

 登山ブームが2000年代以降に再燃しても、山岳団体は登山者を引き付けられていない。県山岳協会に加盟する団体の会員は、03年の計1435人(40団体)から13年は計1132人(37団体)に減少。県山協の西田均副会長(59)は「若い会員を育てる力がなくなっている山岳会もある」と話す。

   △   △

 ピーク時に約20人いたL&Mの会員は、数年前に5人ほどに減った。講習会などで一般の登山者に声を掛けたりした結果、この4年で新たに16人が入会。今では例会を月1回にして電子メールで連絡し合うなど、組織運営も見直した。杉田さんは「会員の働き方も多様化し、ライフスタイルに合わせる工夫が必要だった」と話す。

 国内外の岩壁などにいくつも初登攀(とうはん)記録を残している松本市の社会人山岳会「クライミング・メイト・クラブ」は昨年、一般登山者向けの岩登り講座を始めた。この10年で会員が半減したことを踏まえた試みで、会員の中学教諭河竹康之さん(44)=塩尻市広丘吉田=は「活動を外部に開き、仲間を増やして自立した登山者を育てたい」とする。

 多くの人が山登りの楽しさを再認識し、さまざまな登山者が訪れる県内山岳。安全登山の実現にどう関わっていくべきかを問い直す山岳会関係者は多い。河竹さんは「私たちは、長年かけて積み上げた技術、経験を社会に還元できる。責任は大きいと思う」と話した。

写真説明:人工の岩場でロープの扱いなどを新人会員(手前)に教える小口さん=10月20日、大町市の県山岳総合センター

 (おわり)


北陸と信州・長野、新潟の観光情報が満載! 北陸・信越観光ナビ

信州山小屋ネット


掲載中の記事・写真・イラストの無断転用を禁じます
© 信濃毎日新聞 The Shinano Mainichi Shimbun