信州山小屋ネット~朝日に染まる白銀の山々(大町市の山岳博物館から)

「山の手帖2018」
「山の手帖2018」

松本 山岳フォーラム
松本 山岳フォーラム

浅間山噴火「系統樹」
浅間山噴火「系統樹」

松本 山岳フォーラム
松本 山岳フォーラム

松本 山岳フォーラム
松本 山岳フォーラム

あんぜん登山の最前線~密着・遭難救助~(5)
2013/08/28 10:06
YAMA2013082800151401.jpg

<常駐隊50年 変わる環境 「命守る」変わらぬ思い>

 北アルプス南部地区の夏山常駐パトロール隊が拠点にする標高約2300メートルの県涸沢山岳総合相談所にも、夜はつかの間の休息がやってくる。

 「次は(涸沢から前穂高岳近くの稜線(りょうせん)までの)法政ルートに行ってみようか」。就寝前の3日午後8時すぎ、常駐隊副隊長の加島博文さん(40)が、県警山岳遭難救助隊の若手隊員大塚慧(さとる)さん(27)を次のパトロールに誘った。一般登山道から外れた「法政ルート」は技術と体力が必要だ。「ぜひお願いします」。先輩隊員からの誘いに、大塚さんは笑顔になった。

 相談所で寝食を共にする民間の常駐隊と、県警山岳遭難救助隊。民間と公務員の垣根を越えた連携が、登山者の命を守る原動力になる。

   ◇   ◇

 北ア南部地区に、遭難防止や救助に取り組む「北ア登山者遭難対策協議会」(現・北ア南部地区遭難防止対策協会)が全国に先駆けて設立されたのは、1955(昭和30)年。当時の豊科警察署長の故千野勝さんが提案した。

 日本人がヒマラヤに挑戦し始め、多数の大学山岳部や社会人山岳会が槍・穂高連峰を訪れた時代で、遭難事故が多発していた。同対策協議会の流れが、63(昭和38)年の南部地区の常駐隊発足につながった。ちょうど50年前だ。

 当時は地元に住み、山を熟知してガイドを担う山案内人たちがいた。「その中から選ばれた者たちが、テントに寝泊まりしながら常駐していた」。涸沢ヒュッテ会長の小林銀一さん(82)は常駐隊発足当初をこう振り返る。ヘリコプター救助がないころは、強靱(きょうじん)な山案内人たちが背負子(しょいこ)で遭難者を担いで救助した。遺体収容も多かった。

 県警山岳遭難救助隊の設立は66(昭和41)年。「当時は県警より常駐隊員の方が(登山の)力があった」と小林さん。県警の隊員たちは屈強な山案内人たちに刺激を受け、救助のいろはを教わりながら全国トップレベルの救助隊に成長した。

 やがてヘリコプターが救助の主流になった。かつて常駐隊員だった涸沢ヒュッテ社長の山口孝さん(65)は70年代から、2002年に救助中の事故で亡くなった篠原秋彦さんらと命懸けのヘリコプター救助に取り組んだ。ノウハウは後輩の常駐隊員や県警隊員に伝えた。

 国内で遭難件数が最多の槍・穂高連峰を訪れる登山者を守る態勢は、50年かけて先人の努力を受け継ぎ、改善を重ねてきた結果でもある。

   ◇   ◇

 県内の遭難件数は2012年には254件で、3年連続で過去最多を更新。02年と比べ約100件増えた。一方、県が一般会計から支出している全県の遭難防止に関わる活動費(常駐隊人件費も含む)は、県予算の支出削減の流れの中で減少が続いてきた=グラフ。常駐日数は11年からは40日間だが、以前は45日間だった。

 今は国内外からさまざまなレベルの登山者が北アルプスを訪れる。常駐隊の活動は、遭難救助と並び、相談業務やパトロールといった防止活動の部分が大きくなった。山口さんは「常駐隊の態勢を充実させることは、登山者と積極的に接し、水際で事故を減らすことにつながる」と強調した。

 今季は14人が活動した北ア南部地区常駐隊。本来の仕事を休んで参加した隊員もいる。50年前と比べると仕事が増え、各隊員の負担は大きい。

 それでも常駐隊員を続けるのは、どんな思いからなのか―。10年から常駐隊長を務める吉田英樹さん(58)は「自分が好きで通い続けた槍・穂高連峰を、多くの登山者が安全に楽しむ環境を守りたいから」と笑って答えた。

写真説明:県涸沢山岳総合相談所で、登山者の相談に乗る若手の常駐隊員(右)と県警隊員(右から2人目)=7月31日、北アルプス涸沢

 (おわり)



北陸と信州・長野、新潟の観光情報が満載! 北陸・信越観光ナビ

信州山小屋ネット


掲載中の記事・写真・イラストの無断転用を禁じます
© 信濃毎日新聞 The Shinano Mainichi Shimbun