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西駒山荘 荷下げ
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西駒山荘
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霧ケ峰
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涸沢
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山岳写真コレクション安曇野へ 愛知の男性537点寄贈
2009/01/08 09:54
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 愛知県豊田市の元新聞記者杉本誠さん(81)が、山岳写真のコレクション計537点を安曇野市に寄贈し、市教委は今夏の公開に向けて準備を進めている。明治後期に始まる作品群は、北アルプスなど国内外の山々、渓谷や池、登山者を克明に記録。市が所有する山岳写真家田淵行男(1905-89年)の作品と合わせ、100年を超えて山の移ろいと山岳写真の発展をたどる国内有数の資料がそろった。

 寄贈したのは大判のモノクロ写真約270点を中心に、ガラス乾板44点、複製フィルム90点など。高山植物研究者で日本の山岳写真のパイオニアとされる河野齢蔵(れいぞう)(1865-1939年)=松本市出身、日本山岳協会初代会長も務めた武田久吉(1883-1972年)、北ア槍ケ岳山荘の創業者穂苅三寿雄(1891-1966年)、国際的に活躍する白籏史朗さんや水越武さんら計35人の写真家の作品だ。

 河野が1907(明治40)年に撮った植物採集会の会員は当時の登山の服装や装備を伝える。穂苅の作品には25(大正14)年の焼岳噴火をとらえたものも。登山が一般化する前の明治、大正期の作品は、人がほとんど立ち入っていないような山頂や山肌をとらえている。

 昭和以降になると、水流の変化や雪の風紋など自然の造形美も対象となり、写真家の個性が色濃くなっていく。資料整理を担当している市豊科近代美術館の三沢新弥学芸員は「記録としての『証拠写真』から、芸術性を強めた『ネーチャーフォト』への変化がよく分かる」と説明する。

 杉本さんは62年、山岳雑誌の編集に携わったのをきっかけに、山岳写真の研究を開始。写真家の遺族らを訪ねると、原板のガラス乾板の保存状態が悪く、劣化が目に付いた。「このままでは文化的価値の高い作品が消えてしまう。良質のプリントで後世に残そう」と考え、遺族らの協力で原板を発掘。自費で専門業者に依頼し、保存に強い美術館仕様でプリントしてきた。

 公的施設への寄託は当初から念頭にあり、75歳を過ぎたころに準備を始めた。北アを望み、田淵行男記念館を設けて既に山岳写真を保存・展示している安曇野市に打診、昨年7月に作品を寄贈した。「最も望んだ場所に安住の地を得て、これに勝る喜びはない」と話している。

 市教委は今夏、豊科近代美術館で寄贈作品の企画展を計画。「全国有数のコレクションを活用し、山岳写真の発展に役立てていきたい」としている。写真コンテスト「田淵行男賞」の作品公募などを通じて若手写真家も発掘し、収蔵作品をさらに充実させる考えだ。



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