信州山小屋ネット~朝日に染まる白銀の山々(大町市の山岳博物館から)

西駒山荘 荷下げ
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西駒山荘
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霧ケ峰
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涸沢
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針ノ木谷の古道を復活 船窪小屋の松沢さん整備
2007/08/26 09:37

 北アルプス七倉岳(標高2、509メートル)近くで船窪小屋を営む松沢宗洋さん(70)=北安曇郡小谷村栂池=が、長野県境に近い針ノ木谷(富山県)の古道を復活させたいと2年がかりで取り組み、24日開通させた。戦国武将・佐々成政が冬に北アを越えたルートとも言われ、松沢さんも若いころ荷上げでよく歩いたが、近年は登山者が減り廃道寸前に。思い入れある道に通う松沢さんを、妻寿子さん(71)と小屋の常連客らが支えた。

 24日は、松沢さんと寿子さん、常連客3人が針ノ木谷に下った。樹林を抜け、青空の下、何度も沢を渡る。「冒険みたいでいいなあ」と鳥居照明さん(60)=東京都北区。高さ2メートルほどのネマガリダケの中で、松沢さんが踏み跡や記憶を頼りにかつての道を探し、5人で草木を払う。視界が開けると、歓声が上がった。

 大町市立大町山岳博物館によると、針ノ木谷の道は古くから越中と信州を結んでいた。1878(明治11)年には有料の新道ができ、外国人登山者が歩いた記録も。

 1963(昭和38)年、黒部ダムが完成。黒部湖の横断は、それまでのつり橋から1日数便の船の渡しになった。不便さもあり、現在、古道を通るのは「年間数人」(松沢さん)という。

 松沢さんは20代のころ、当時の関西電力黒四建設事務所に勤務。毎週休日、針ノ木谷の道から寿子さんが営んでいた船窪小屋へ荷上げした。「この道を知る人は、ほとんどいなくなってしまった。手間はかかるが、おれの仕事だ」と整備を決心。古希を前に「早くせねば」との思いが後押しした。

 最初は1人だったが、松沢さんを「お父さん」と慕う常連客が次第に手伝うように。渕上昭男さん(73)=堺市=は2年間で十数回訪れ、作業をビデオにも残した。「人生とは何かと考えた時、お父さんは道の復活を思ったのだろう」

 復活させた区間は約2・5キロ。24日、寿子さんと道端に腰を下ろした松沢さんは「満足感でいっぱい」と、この日初めて笑顔を見せた。西沢隆雄さん(62)=長野市=は「友だちも連れてきて、これからも手入れを手伝う」。松沢さんは「放っておいたらまた荒れてしまう。今日が終わりではなく、まだ先は長い」と話した。



道を切り開き終え、一息つく松沢宗洋さん(左)。座っている岩に古い登山道の目印だった赤い丸がある=24日、針ノ木谷



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