人気記事ランキングはこちら(左下)へ

CALENDAR

<< 2012/02 >>
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29

信州そば漫遊表紙へ / 最新の記事へ /    前へ >

蕎麦ザルの不思議(2) 「ざるそば」から「せいろそば」へ

 「ざるそば」と「もりそば」との違いについて、以前はよく話題になりました。

 だいぶ以前のことですが、善光寺門前の料理屋での法事の席で。仕切っていた顔役が連れていった店です。食事の段になって運ばれてきたのが、海苔のかかっていない「もりそば」。大勢に配り始めてから顔役が気がつきました。これは事前の予約と違う、と言い出して。ところが、注文は「もりそば」で、顔役のイメージは「ざるそば」だったのです。ちょっとした手違いでしたが、やり直しになりました。配っていた「もりそば」を回収し、改めて海苔のかかった「ざるそば」を運んできました。器が違っていましたが、新しくゆでたのではなく、前の蕎麦をそのまま盛り直しただけのようでした。時間がたった蕎麦は、だいぶ伸びています。もっとも、20~30人もの客に一斉に出すのですから、団体さんに慣れているとはいえ、もともとそれほど上等な蕎麦ではないし、扱い方も素っ気ないものですので、味は期待出来なかったのは言うまでもありません。

 一般の人には、「ざるそば」と「もりそば」の区別など、あまり関心が無かった時期が長く続きました。それがだんだん、「ざるそば」が上等なもの、値段も少し高い、と認識されるようになり。そんな移りかわりの境い目の時代のエピソードだったと記憶します。

     ☆

 よく言われる議論は、「ざる」には海苔がかかっているが、「もり」には海苔をかけないのが普通だ、というもの。そして、海苔の有る無しで50円も100円もちがうのは変じゃないか、という批判です。

 「ざる」は器が違う、汁(ツユ)が違う、と区別し、だから値段が違うのだ、と説明する店もありました。確かに、そんな傾向も見かけたものです。

 器の違いは、食べていて、隣のテーブルの蕎麦をちらっと見た時などに、おや?と感じることがあります。例えば、セイロでも丸いのと四角いのの違いがあって、とか。基本的には、上等の器が「ざる」です。

 汁の違いについては、不思議な話がいくつかありました。「もり汁」は辛く、「ざる」の汁は甘く、とか。この甘辛は、砂糖のごとき甘さを指すというより、塩分濃度を意味している(いた)はずですが。濃さの違いを言う店もあったと記憶します。

 あるいは、「ざる」には一番ダシを使う、「もり」は二番ダシだ、と区別する店もあったようです。最近はこうした区別は減ってきたらしいのですが。盛られた蕎麦の質の違いに合わせているのだ、という説明は、少し苦しいような気がします。

     ☆

 「ざる」と「もり」については、今も同様の区別をしている店は、かなりあります。客の方も心得ていて、わずかな区別を楽しむ人も多いように思います。

 一人で店に入った時には「もり」で、お客さんを連れていく時には「ざる」で、と見栄を張る場合もあります。「そば通」「そば好き」は、自分は決まって「もり」しか食べない、と強調する人も居ますが。

 また、ふだんは値段の違いから「もり」を食べることが多い私も、昼食のランチセットなんかの蕎麦に、たっぷり海苔がかかっていて、ああ、セットは「ざる」で組み立ててあるのか、と新鮮な気分になることもあります。

     ☆

 これもよく言われることですが、「もりそば」は高く盛ることからついた名前だそうです。おそらくは、江戸時代後半に、蕎麦を陶磁器の皿に盛って出したころから後に普及した名前でしょう。

 そこへいくと、「ざるそば」はザルに盛るからだ、ということになります。ザルは形がいろいろあって、古くから一般家庭で重宝に使われていたことでしょう。場合によっては、無くてはならない生活必需品だったと思います。

 しかし、セイロなんかは、一般家庭にはほとんど無かったはずです。特に農村部では、もち米を蒸すなどの大型のセイロはあっても、食器扱いのセイロなどは、まず無かったといっていい。家庭に小型の食器扱いのセイロが備えられるのは、ごく最近のことと思います。

 こうした、ザルとセイロの使用のあり方、普及の度合いで、呼び名も微妙に変化してきたのではないか、と私はにらんでいます。その反映が、そば屋のザルとセイロに投影しているのではないか。さらに、呼び名も左右されたのかしら、と。

     ☆

 一方で、ザルの産地である戸隠では、海苔があろうが無かろうが、「ざるそば」が似つかわしい。蕎麦が名物として広く知られるようになってからは、戸隠だからこそ「ざるそば」が定着したような気がします。その感覚が、信州各地にだんだんと広がって、海苔をかけなくとも「ざるそば」で通るようになりました。ここ20年か30年くらいの間のことと考えています。

 「ざるそば」が器からくる呼び名だとすると、セイロに盛るのだから「せいろそば」と呼ぶ方がいいじゃないか、という感覚も正当な気がします。30年ほど前の信州では、「せいろそば」とメニューに載せる店はごく少なかったと記憶しています。近年はもう、「せいろそば」と呼ぶ店がずいぶん増えました。

 そうした傾向も踏まえて、蕎麦ザルが今も健在なのかもしれません。

… 2012年01月29日・記| trackback (0)

 

蕎麦ザルの不思議(1) すず竹や根曲り竹の細工で

 昨年12月に松本で、「みすず細工」の竹ザルを復活させるべく、そば屋も協力して研究している、という小さな記事を見かけました。なかなか面白い話だなあと興味を持ちました。

 以前の信濃毎日新聞の記事によれば、松本市では伝統工芸「みすず細工」の復活を促進するために、国の緊急雇用創出事業を活用して人員を募集した、ということです。6人の応募者があって、着々と技術を身につけてきたというわけです。

 試作品は、大きな「そばざる」。そば屋で試しに使ってもらって、出来ばえを検討する、というものです。こうした竹細工はどことなく、蕎麦と縁が深いような気がしています。

 今長野県内で蕎麦用の竹ザルといえば、まず戸隠産があげられるでしょう。ここの竹細工自体、江戸時代から続く長い伝統があります。竹ザルはまた、現在の戸隠そばにとって欠かせない器です。

 戸隠では「ぼっち」と呼ぶ玉状に小分けして蕎麦を盛る姿が有名です。

 これは実は、昔はもっと大きなザルを用いることが多かったと言います。どうしてかというと──

 この地方の一般の農家では、蕎麦(そば切り)は冬の食べ物。当然、温かくして食べるわけです。それも、囲炉裏の火にかけて煮える味噌汁仕立ての鍋に浸して=湯(とう)じて食べる。軽く一杯分ほどの大きさにまとめておくと、湯じる時に扱いやすい。この湯じたお椀の蕎麦を何度もおかわりして食べたもの。こうやって玉状にしておくには、家族がたくさんいれば、たっぷり盛って用意しておかなくてはならない。そのために、大きなザルがよく使われたわけです。

 ──こうした「とうじそば」「おにかけ」は、ゆでたてでない蕎麦なのですが、蕎麦自体が品質がよければ、かなり美味しいものです。山間地の店や個人宅で何回も食べた感想では、当たるとたいへん旨かったものでした。

 昔のやり方はともかく、戸隠でも今は冷たい「ざるそば」を、1人前ずつ出します。小さい器で充分なので、ずいぶん前から小さいザルが普及してきた、と言います。そんな話を、以前は時々聞きました。

 戸隠の竹細工の材料は、根曲り竹と呼ばれる細い竹(笹)。チシマザサと言い、長野県北部から北の方に広く分布しています。同じような根曲り竹の細工ものは、山ノ内町須賀川にも伝承されています。ここもまた、知る人ぞ知る蕎麦の名所に育ちつつありますが。現在使われる蕎麦ザルで言えば、両者には微妙な違いが見えますが、機会があったら触れてみます。

 それで、「みすず細工」については──

 昔の文学的表現では、「みすずかる」といえば「信濃」にかかる枕言葉。「みすず」というのは「美篶」であって、「み」は美称、つまり「すず」=スズタケのこと。「かる」は刈る。つまり、「すず」「みすず」と呼ばれる細い竹(笹)が信濃にはたくさん生えているところから生まれた言葉かもしれません。そして「刈る」のは、生活に役立てるために、いろいろに使ったからなのでしょう。

 この「みすず細工」は、北の地方以外では、全県的に発達していたのではなかったか、と思います。各地でスズタケなどと呼ばれ、竹細工の店がどこにでもあったと言います。30年ほど前に私も、佐久地方でスズタケで「米あげザル」を作るのを見せてもらい、つい買ってしまったものです。

 また上田市でも器用な職人が、スズタケを使った見事なビクを作っていました。体にぴったりくっつくデザインで、ずっと使って重宝しています。これらは実に丈夫で、丁寧に使うと相当に長持ちします。みすず細工で今も生きているのが、蕎麦ザルでしょうか。ずいぶん前に安曇野のそば屋で、大きなザルに蕎麦をたくさん盛ってきたのにびっくりしたのを思い出しました。この地方でも、農村部では家庭で大きい竹ザルを使っていたのでしょうか。今もごくたまに、大きなザルで蕎麦を出す店があるような気がしますが。

 戸隠の竹細工でも昔は実に多くの農家向けの実用道具(民具)を作っていましたが、今は名物の蕎麦に用いるのが一番目立つようです。廃れていく竹細工の中で、最後まで実用の価値を保ってきたのが、蕎麦ザルなのかもしれません…。

… 2012年01月24日・記| trackback (0)

 

大震災に「おひさま」も 今年は大きな出来事が

 今年、平成23年=2011年の信州そばをめぐる情勢について、つい考えてしまいました。いろいろ大きな出来事があったように思います…。

◎大震災の影響

 3月の東日本大震災と東京電力の福島原発事故は、日本の蕎麦業界にも大きな影響を与えました。特に栽培面では、東北や関東のソバ産地がだいぶ被害を受けたようです。

 しかし、ソバに関する一般情報は目立ちませんでした。風評被害もあるのでしょうか、話題がたいへん少なかったのが気になります。恐らくは栽培が減ったとか、放射能が心配で出荷が控えられた、あるいは売れなかった、という事情があったことでしょう。

 一部では大手の業者から敬遠されたらしい、というウワサも聞きました。地域ごとに行なわれるそば祭りの話題が、インターネットで調べてみても、ほとんど登場してこなかったのです。たぶん、祭りどころではない、という雰囲気もあったやに聞きますが、本当のところはわかりません…。

 一方で、観光客の動向が変わって、東北地方から他へ流れた、それが中部地方へ影響して、信州観光がうるおった、という側面もあったようです。そして、そば屋にもかなりの客が訪れた、とも言われます。

◎NHK「おひさま」の放送

 信州そばにとっては、NHKの朝の連続ドラマ(朝ドラ)「おひさま」の影響も大きかったと言えます。主人公の陽子さんは何しろ、松本のそば屋へ嫁いで、商売もこなすのですから。

 安曇野や松本市の見どころがたびたび紹介され、観光では大きなブームに湧いた年でした。観光客の食ベものの要望は「信州そば」。どこの店も大繁盛だったようです。

 また、パワースポットブームで戸隠や周辺がにぎわいました。パワーだけでなく、JR東日本のテレビコマーシャルで、戸隠の杉並木や蕎麦が紹介された影響も相当にあったと言われています。南アルプスに近い伊那市のパワースポットもブームが続いていました。

 観光客は広域にまわりますから、信州全体もまわりの県も、場所によっては相当に混雑しました。そして観光客が増えると、どこでも(他の県でも)、そば屋は繁盛します。

 そば屋には客は殺到したようですが、安曇野や松本の蕎麦そのものが問われる、掘り下げる方向へはいかなったように見えました。単に観光客の増加に役立った、だけなのかもしれません…。

◎栽培面積が増えた

 今年のソバ栽培では、各地で面積が増えたという話を聞きました。これは政府がすすめた「戸別補償」政策のせいでしょう。その仕組みはよくわからないのですが、農家にとっては歓迎すべきことだったようです。

 県全体では2割くらい多かったようだと聞きます。従って、生産量も増えたことでしょう。収穫量などの統計数字は2月ころに発表されるといいます。

 毎年のことですが、出来の良し悪しが出てきます。北海道の出来が悪い、という話をちらっと聞きました。長野県内でも、そば祭りを開くのに北海道産が使いにくい、困って常陸秋そばを使ったという例を聞いたことがあります。値段は聞きませんでしたが、もしかしたら関東産は安かったのだろうか、と一瞬思いました…。

 そば祭りに出かけて、うちは今年は豊作でした、と喜んで話す女性グループに出会いました。一方で、あまりよくなかった、という地域の話も聞きました。長野県内でも、出来の凸凹があったようです。

◎そして味の凸凹も。

 実際は、食べ歩いてみて、特に観光客でうるおった安曇野や松本地方で、一部ではありますが、端境期のつらい味が目立ちました。さかると味が落ちる典型だったのかもしれません。

 そして夏蕎麦というより、秋蕎麦の早い収穫のものが味がよかったように見えます。いくつかの産地のそば祭りで実感しました。それが長続きしたとも見えなかったのが残念でしたが。

 これを言うと、最近時々評判になる「早刈り」のことか、と聞かれて困ったこともありました。

 「早刈り」は一部の愛好家がやっていることと思います。その特色は、完全に成熟したソバの実を使うのでなく、どちらかといえば若い、時には半分未成熟の状態の実を刈る、というもの。こうすると、青い色が多く、風味が良い、味もなかなかのものだ、ということになっているようです。

 厳密には、どこからが「早刈り」で、どこからが一般か、という線引きはたいへん難しいものです。また味についても、微妙なものがあります。

 私の推測では、他のパターンでもよくある話でしょうが、たぶん「最初は美味しい」という味になりがちではないか、と思うのです。つまり、初めの2~3口は美味しい。食べすすめるとだんだん平凡な味になってきてしまう、というものです。「早刈り」については、機会があれば改めて書いてみようと思います。

 そのことと関係があるのかわかりませんが、11月に各地でそば祭りに出かけた折に、あちこちで田畑にソバの芽が生えているのを見かけました。早く栽培して10月にそば祭りをやる地域での話ならわかるのですが、普通の産地でもよく見たのです。いかにもコンバインで刈った跡に見えて、複雑な思いをしました。

 とはいえ、秋の気候が相当に温かかったような気もします。よく知られているように、ソバは寒さ、特に霜に弱い。軽い霜でも芽が出たばかりのソバだったら、すぐやられてしまいます。それが残っていたのは、霜の到来が遅れたからでしょう。これも地球温暖化の影響かしら、とも考えたのですが。その後の寒さのきつかったのは、反動だったのかもしれません…。

◎年末に味がよくなったか

 あちこちの山村の直売所などで売るソバ粉の値段が、ずいぶん上がっているのにびっくりしました。多くは1キロ1200円くらいだったはず。地元産を強調しているのかもしれませんが。売る側の、産地についての神経がピリピリしている様子を感じました。

 今年はしかし、歳末に向かってぐんぐん味のいい店が増えて、感心しました。ふだんは大したこともないような店が、えらく旨かったりして。あるいは、夏から秋にかけてぐんと味を落とした店で、冬に向かっていい味が復活してきたのも体験しました。

 これは国内産だけでなく、輸入ものも味がいい玄ソバ、粉が出まわっているのだろう、という話を聞きました。この状態が、冬場いっぱいは続いてくれるとうれしいのですが。

 既に大きく売れていて、味を落としたまま商売を続ける店もあって。そば屋もいろいろです。

 客数の凸凹も目立ちました。全体ではかなり多くなったような印象です。東北方面への観光客の動きが変わって、信州などの中部地方や北陸方面へ流れた、その影響のような気がしました。

 とはいえ、時々経験した、店の態度の妙な「ザラつき」。よく繁盛して儲かっている店は、どことなく鼻が高い印象で。味について何か感想を言えば、素直には聞き入れてくれないで、横を向いたりします。

 そうした点も含めて、大震災と原発事故の影が大きくのしかかったと感じた1年でした。歳越しそばをすすりながら、自分の行動の反省もまじえて、振り返ってみようと思っています。

 皆さま、よいお歳を!

… 2011年12月26日・記| trackback (0)

 

真っ赤なタチアカネの衝撃 信州でもソバの有望な新品種

 今年の9月、奥信濃のソバの花を見て歩いていた時のことです。

 ふと見かけた畑に、真っ赤なソバの実のついた1ウネ(畝)がパッと目に飛び込んできました。あら、珍しい…。近づいてみたら、「タチアカネ」という札が立っています。聞いたことがないなあ、と思いました。

 何しろ、普通は1万本とか10万本に1本くらい、赤い実のつくのは見かけることがあります。これを文学的に「とうろう(灯籠)」「ちょうちん(提灯)」と呼んだりします。

 ところが、ほとんどすべての株の実が真っ赤。びっくりもしますが、不思議な光景として衝撃的でした。景観としても、奇妙な迫力があります。これは新しい品種に違いない、と思いました。

 その後、上田市の隣の青木村で、11月12日に開かれる収穫祭に「新そばまつり」として、このタチアカネを試食できるという小さいニュースに接しました。

 さっそく祭りに出かけてみましたが、開始時間の11時には、限定200食は売り切れで食べることはできませんでした、残念。

 後日、長野県農政部で新品種の話を聞くことが出来ました。

 タチアカネの大きな特色は、その真っ赤な実にあります。しかし実は、この品種の開発は、本来は「耐倒伏性に優れた品種」の育成から生まれたものだそうです。つまりソバ栽培の1つの弱点、風や雨で茎が倒れやすいという性質を、何とか克服したいという視点からの改良や育成だったわけです。昨今のコンバインによる刈り取りなどの機械化も影響しています。

 もともとは臼田町(現在佐久市)で収集した在来種の個体選抜、系統選抜により育成した、といいます。県内に広く普及している信濃1号の変化型、とも見なされるようです。栽培実験を重ね、ようやく品種登録が出来たもの。これから普及がはかられるはずです。

 タチアカネという名前の「タチ」は、「立つ」から来ています。倒れにくい、つまりはしっかり立っている、という性質を、期待をこめてつけたようです。そして「アカネ」は赤い実を意味するといいます。

 この真っ赤な実は、「乳熟期の外果皮」というものだそうです。

 ソバの花が受粉すると、普通はまず薄緑色の三角形の、ぺしゃんこの形が出来ます。そしてしだいに、この中に乳白色の中身が形成されていく──これが「乳熟期」ということのようです(「登熟期」とも呼ぶらしい、もちろん他の作物でも言います)。

 先ほどの「とうろう」などは、乳熟期にたまに真っ赤なものがありますし、ピンクがかったものも見えて、あまり統一的ではありません。しかしこのタチアカネは、ほとんど(90%以上)が真っ赤になるといいます。(こうした真っ赤な実は、信大の氏原先生たちが開発した「高嶺ルビー」という赤花ソバでも、見ることが出来ます。あるいは別に開発された品種でもあると聞きます。)

 タチアカネはしかし、ほとんどの信濃1号と同じように、熟した実は、茶褐色から黒色の外皮色になります。区別はつきにくいのです。その茶褐色の外皮をむくと、内果皮がありますが、タチアカネはいくらか緑色が濃い、とも言われます。厳密さはよくわかっていないようですが。

 それで、製粉して蕎麦(そば切り)にした時に、色が少し緑がかっている、とも言われますし、また味がかなりいい、という調査結果もあると言います。どれをとっても、栽培するのに、また利用するのに適している、ようです。

 弱点もあるといいます。それは一般の信濃1号などと交雑するおそれです。他花受粉で、相当に遠くの畑のソバと混じってしまう可能性が高いのです。純粋の品種=タネを確保するには、隔離した場所での採種が必要なのかもしれません。

 今や県下各地で栽培実験が行なわれていますので、来秋には容易に食べることが出来るかもしれません。楽しみに待ちましょう。

 なお、インターネットで「タチアカネ」を検索すると、たくさんの情報を拾うことが出来ます。多くの人、組織が注目して、栽培や普及に乗り出していることがわかります。

 こうした新しい品種では、早くに普及した「信州大そば」があります。これは信州大学農学部の氏原教授が開発した品種で、一時は全県下に栽培が広がりました。私も何度か試食をさせられたものです。

 信州大そばには、いくつかの特色がありました。粒が大きい、製粉してそば切りに作る時に粘りがある、などと指摘されます。はっきりした理由はわかりませんが、結局は定着しなかったようです。栽培での特色(倒れやすいかどうか)、調製やそば切りへの加工の難易、食べた時の味など、現場で総合的に判定されたのだと思います。それでも、この特色を生かすべく、今も飯田地方では信州大そばの栽培普及と食の名産化に真剣に取り組んでいるグループがあります。

 ソバの品種としては、古くから栽培されてきた「在来種」があります。近年各地で発掘されて、名物になっているものもあります。たいがいは粒が小さく、栽培も製粉も手間がかかってたいへんだ、とも言います。あるところで食べた味は、あまりピンときませんでしたが。

 長野県内では「奈川在来」が有名で、北海道で大きく栽培されている、と聞きます。今後、どれだけ普及するのか、確かな味をどれだけ保てるのか、課題は多いようです。

 また、全国的に、地元らしい新品種の育成・開発がすすめられています。典型的なものには北海道の「キタワセ」、茨城県の「常陸秋そば」、福島県の「会津のかおり」や新潟県の「とよむすめ」などがあります。他にもいくつか聞いたような気がしますが、味の評価や他への広がりは未知数に見えます。

 長野県の「信濃1号」は、伝統や味について、長年の高い評価が全国的にあります。それだけに、今回のタチアカネに対しては大きく関心を持たれることでしょう。県内の農家、ソバ業者、そば屋も含めて、早め早めに対応を備えていく必要がありそうです。

 私にとって、真っ赤な実がぎっしり並ぶ光景は、すごく刺激的であり、衝撃的でした。景観も含めて、信州そばの栽培の現場の変化を、見つめていきたいと思います。

… 2011年12月20日・記| trackback (0)

 

安曇野・松本市の蕎麦文化の落差 変化と伝統とが同居して

 今年は安曇野や松本のそば屋が大いに繁盛した年として記憶に残りそうです。言うまでもなく、NHKの朝のドラマ「おひさま」の影響です。

 夏から秋にかけて久しぶりに訪れた安曇野のそば屋では、休日はすごい客で、入口で待つこともしばしばでした。少し郊外の店では、今年の客はすごかった、と笑顔で話す知り合いに何軒か出会いました。夏場の繁忙期の後に、遅い夏休みをとる家が、今年は休む間もない、とこぼしていたり。

 そんな中で、有名な評判の店にも行ってみました。何年か置いて来てみたら、味はあまり変わらないものの、儲かっているのか、「上から目線」で商売をしているような──言ってみれば「食べさせて頂く」ような気持で食べた店もありました。

 安曇野は全般に、ここ10年くらいの間に、ぐんとそば屋が増えてしまい、長くやっている店も味を変化させた例が多いように見受けました。今年は特に、「おひさま」放映を契機として、一種の観光ブーム、そしてそば屋ブームが起きていた(いる)ようです。

 もともと安曇野の平野部では、ソバ栽培の伝統や蕎麦食文化の系譜はぐんと少なかったように思います。何といっても稲作が盛んで、それが誇りでした。周囲の山村に対して、米こそ大事、と自慢する(した)話は、以前から私もいくつか聞いています。それだけに蕎麦に関しては、新しい技術や食べ方など、比較的早く受け入れてきたような気がします。逆に言えば、安曇野らしい伝統的な蕎麦、そば屋については、あまり頭に浮かんできません。

     ☆

 安曇野のこうした傾向は、大まかには松本市も同じと言えましょう。松本らしい特色ある蕎麦は、寡聞にして、ほとんど覚えがありませんでした。従って、東京から直輸入のような洗練されたそば屋が、妙にもてはやされるのを感心して見ていたものです。

 近年はそれでも、合併した町村の伝統的な食べ方、たとえば「とうじそば」というメニューをかかげる店なんかが目立ってきましたが。

 「とうじそば」はここ十数年の間に、旧奈川村の名物として定着しています。奈川は御岳や乗鞍岳に近い山村で、古くは木曽郡に入っていたこともあり、飛騨方面との交流も含めて、古い食文化をよく残しています。蕎麦に関しては近年、「とうじそば」の他に、専門家からは「奈川在来」と呼ばれる在来種のソバが注目されたりしています。

 そして去年は、そうした蕎麦食の全体像を市の資料館「松本市歴史の里」が調査して映像にまとめました(2010年11月、信州そば慢録 奈川の蕎麦作りの展示──古い伝承の調査記録を参照)。このビデオは、今も見ることが出来ます。

 今年は引き続き、同じグループが、今度は「雑穀」をテーマに調査し、映像に仕上げています。ソバは雑穀の一種とも見なされます(農水省の統計などで)。粟(アワ)、黍(キビ)などの雑穀栽培は、ソバとも共通する要素が多いようで、たいへん興味深いものがあります。

 栽培から食べるところまで、安曇野・松本平周辺の山村文化は、まだ未解明のものが多くあるように見受けます。日本中に、また世界へも発信するだけの文化を、もっと掘り起こして広めて欲しいな、と遠くから念じています。

 古い食文化と、現代風の新しい感覚と。両方があってこそ、信州の蕎麦の魅力になっていくのでは、と思います。期待しましょう。

【奈川の雑穀についての企画展示は、松本市歴史の里の「工女宿宝来屋」で1月15日まで。(月曜日と12月29日~1月3日休館)。問い合わせは、電話0263-47-4515】

… 2011年12月15日・記| trackback (0)

 

そば漫遊表紙へ / 最新の記事へ / ページの上へ /    前へ >

過去の記事

執筆者プロフィル