天狗党の趣意書 阿智で初の一般公開

2016/12/17 10:50
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 江戸末期、水戸藩の尊王攘夷(じょうい)派「天狗(てんぐ)党」が朝廷に尊王攘夷を訴えようと京都を目指す途中、一泊した阿智村清内路の脇本陣に残した趣意書が、村内で初めて一般公開されている。幕府軍などと戦いながら民家に分宿して西へ向かった天狗党が、通行への理解を求めるためにしたためた文書の下書きとみられる。

 趣意書は上清内路にある旧脇本陣、原晃一さん(78)、順子さん(72)夫妻の家で代々門外不出とされてきた。清内路村史などによると、天狗党を率いた武田耕雲斎(1803―65年)らが晃一さんの曽祖父にあたる原善兵衛方に宿泊したのは1864(元治元)年の旧暦11月25日。いったん本陣へ入ったものの、討伐軍の襲撃を用心して原家へ移ったという。趣意書は要らなくなった一行のやりや脇差しなどと共に残された。

 縦13センチの和紙が継ぎ足され、横幅は4メートル38センチ。251行に及ぶ長文で表題はなく、当地を通る理由から始まっている。1853年にペリーが浦賀に来航し、翌年、日米和親条約が結ばれたことに触れ、「彼ラ大砲巨艦之精利なるニ誇り皇国を軽侮し傲慢(ごうまん)無礼不可言既ニ併〓(呑の異体字)(へいどん)之機相顕(あらわ)れ候(そうろふ)ニ付従…(アメリカは大砲や巨艦の威力をもって皇国を侮り、わが国を勢力下に入れる機会をうかがっている)」と危機感をあらわにしている。

 天狗党結党前後の経緯も記した後、外国勢が攻め入ってくれば先頭に立ってアメリカ人を皆殺しにし、わが国の大患を取り除いて国恩に応えるしかない―と結んでいる。

 文末に通常書かれる執筆者名と年月が記載されていないが、固有名詞や敵の動向まで正確に記載されていることから、学芸員の資格を持ち、古文書資料のデジタル化を進めている飯田市長野原の佐古新一さん(67)は、筆者について「天狗党幹部では」と推察する。

 佐古さんはまた、天狗党が黒羽(くろばね)藩(現栃木県)に送った趣意書に内容が酷似していることにも注目。清内路の文書には、文言を挿入したり、特定の文字を丸で囲ったりと複数人で内容を吟味したことをうかがわせる書き込みもある。これらの事実から、清内路の文書は、黒羽藩に結党の趣旨を訴え、領内の通行に理解を求めた趣意書の下書きで、伊那谷まで持参した後、原家に置いていった可能性があるとみている。

 「地元でも水戸浪士が通過したという程度しか知られていない。この機に歴史に触れてもらいたい」と原さん。上清内路の「ギャラリーA&JM(アート&ジャパニーズマイスター)」で、1月下旬まで公開している(午前9時〜午後5時、水・木曜定休)。

写真説明:脇本陣だった原家が代々保存してきた天狗党の文書と原さん夫妻

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