戦死した長野の兵士に光を 9日資料展示と体験聞く会

2015/08/08 11:24
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 長野市若槻地区の住民らでつくる「若槻郷土史研究会」が、太平洋戦争中の1944(昭和19)年8月、日米の激戦地だった南太平洋・マリアナ諸島のテニアン島で戦死した地元出身の海軍少将粟(あわ)野原仁志さんら2人の写真や関係資料を収集した。戦後70年の節目を記念して同会などは9日、市内で開く戦争体験者の声を聞く催しで展示。戦死した地元出身者について知ってもらい、平和の尊さを身近に感じてほしいと考えている。

 紹介するのは、粟野原さんと宮沢四良さん。粟野原さんは1900(明治33)年、上水内郡若槻村(現長野市)に生まれ、19(大正8)年に旧制長野中(現長野高)を経て、広島・江田島の海軍兵学校で学んだ。同校の教官や千葉県・香取にあった航空隊の部隊の司令官を務めた。

 一方、宮沢さんは36年1月、神奈川県の横須賀海兵団に入団し、同島で戦死した。展示では、県外の長女が保管していた粟野原さんの写真や略歴を紹介。宮沢さんに関する写真アルバム、出征時の餞別(せんべつ)や戦死後の香典の控え帳といった資料は、地区内のおいから預かった。

 テニアン島は44年7〜8月の戦闘で、守備隊を務めた旧陸軍松本五十連隊など約8千人のほとんどが戦死。米軍占領後は、B29爆撃機の基地として日本本土への空襲拠点となったほか、広島・長崎に投下された原子爆弾もこの島で積み込まれた。同研究会の金子弘会長(78)=長野市=は「2人を通して、原爆投下にまでつながる歴史を知ってほしい」と話している。

 9日の催しは、檀田地区センターで午前8時半から。戦艦長門の元乗組員やシベリア抑留経験者ら地元の8人が9時半から体験を話す。入場無料。問い合わせは金子さん(電話026・244・7566)へ。

写真説明:出征時の祝儀や戦死後の香典の控え帳、写真など宮沢さんにまつわる資料

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